
堅田の出島灯台(でけじまとうだい)は、僕たちの自主制作映画の撮影ポイントだった。
将来のことも何も描けてない二十三歳の僕は、二人の友達と自主映画を創っていた。
ダンディーとエディーで、ダンディーは監督・脚本担当でリーダーで、高校からの同級生だ。エディーはダンディーがバイト先で知り合った友達だ。セリフ覚えと演技が最初から上手かった。初対面のエディーとは、一緒に撮影をする中、徐々に親しくなっていった。親しくなる(友達になる)確率は若い頃の方が高いかもしれない。
僕は、役者と音楽を担当した。セリフ覚えが悪く、棒読みで役者にはどうも向いていなかった。音楽は、はまった。Wラジカセでダビングを繰り返した。映像に曲が乗ると感情が足されて心が動いた。
「俺と一緒に天下とらねえか?」「シューちゃんがいたから僕は進めたんだ」
当時流行っていた映画のセリフだ。そんな映画に触発された。主人公がなり上がっていき、誘ってくれて一緒にやってきた同士に別れを告げる話だった。
さて、自主映画の登竜門、ぴあフィルムフェスティバルで受賞すると製作費100万円と上映権が得られる。
この日も灯台での撮影だった。青い空に入道雲が浮かぶ。もわっとした熱風、背中の汗がTシャツに張り付く。スタート!の声でカメラの前の2人の役者が話し始める。1人はエディーでもう一人はヒロインのサティ。サティも高校の同級生だ。
どんなセリフでどんな話だったかも覚えていないが、いつか見た虚構の世界にどっぷり浸った。
時間を忘れて日が暮れるまで撮影をしていた。
堅田周辺は商店街、田んぼ、びわ湖タワー、湖岸といろいろなシチュエーションでのロケーションが豊富だ。小さいが砂浜がある真野浜は、夏はちょっとしたビーチのようだった。遠くの方まで湖面が続き、まるで海辺のような画が撮れる。関わる人も増えて、いろんな人と出会った。
そんな映画づくりが自分たちのスタイル。自分たちがおもしろいと思える映画を作るため、こんな演出はどうだ?こんな小物はどうか?夕暮れのこの場所はこのシーンに合いそう、などアイデアが形になったとき、何とも言えない気持ちになった。
作品の上映会も行った。当日までの過密な制作スケジュールの中、観客にまくチラシも自作した。バイトをしながらの多忙な日々。
映画の反響や感想で手応えを感じた。自分たちが面白いと感じたことを受け入れられた時。
青春を謳う映画を作った。あれは全部が青春だった。(誰にでも若いころ、あれが青春だったことがあるから自信をもって言います。まるでお腹が痛くなってまさかの粗相したことを人に話す時のような気持ち。もらしましたが何か?)
毎年応募するも落選が続いた。
このままではダメなんじゃないか?いろいろと壁が立ちはだかる。そして、それぞれ歳をとり、徐々にそれぞれの方向へと進み始める。これが現実なんだと思い込ませた。社会に認められなければ趣味の域を出ない。僕はその場所から離れることにした。才能がなかったと諦めた。
諦めたことへの後悔はないが、あの時の本気はどこまでのものだったのだろうか?
恐らく今も昔もどこか現実から逃げているのかもしれない。思い返すとそうだったし、今もどこか現実から目を背けていないか?
真剣に向き合うのが怖いし、失敗への不安がつきまとう。これは答えの出ない堂々巡りになりそうなので停止する。
天下はとれなかったけど、今の自分があるのはその経験があったからだと前向きに終わりたい。
今日も入道雲が出ていた。
出島灯台は今もそこにあるだろうか。