
biwacommon編集部のジョーだ。今回は、滋賀県草津市のご当地マンホールを巡ってみよう!
草津は、東西交通の要衝として栄えた町。東海道と中山道が交わる“全国唯一”の宿場町として、江戸時代から多くの旅人が行き交ってきた。現在も残る「草津宿本陣」は、現存する本陣の中で日本最大級の規模を誇り、国の史跡にも指定されている。宿場町としての繁栄を今に伝える、草津の象徴だ。
その歴史と誇りは、いまも足元に残っている。草津市のご当地マンホールは、まさに「路上の歴史資料」だ。さあ、宿場町・草津の物語を刻むデザインを見ていこう!
※本陣とは、江戸時代の宿駅に設けられた、大名など身分の高い人が宿泊する公認の施設。

江戸時代の浮世絵師・歌川広重の名作「東海道五拾三次之内草津」をモチーフにしたマンホール。
描かれているのは、当時の草津川の情景だ。かつて草津川は大雨のたびに氾濫し、草津宿を洪水が襲った。人々は川底の砂を浚い、堤を築き、やがて日本有数の天井川となった。
マンホールの手前には草津川、中央には追分道標、奥には草津宿。歴史のレイヤーが、一枚のマンホールの中に凝縮されている。
限られた色数で遠近を感じさせる構図が美しく、川辺の小石まで描き込まれた細やかさも見事だ。浮世絵モチーフは、歴史と地域性を色濃く映し出す。ご当地マンホールにふさわしい題材といえる!
なお、草津川(天井川)は2002年に廃川となり、現在は跡地が「草津川跡地公園(de愛ひろば・ai彩ひろば)」として整備され、市民の憩いの場となっている(写真下)。
設置場所:込田公園周辺ほか市内各所(2019年3月時点で36か所)

草津宿は、江戸から数えて東海道52番目、中山道68番目の宿場町。その歴史的分岐点に建つ市指定文化財「追分道標」を描いたマンホール。
追分道標の建立は江戸時代後期の1816年。全国の問屋筋の寄進により建てられ、旅人たちの大切な“道しるべ”となった。
実物の道標には
「右 東海道いせみち」
「左 中仙道みのぢ」
と刻まれ、高さ約3.9mの堂々たる姿を誇る。
マンホールの背景にあしらわれた幾何学文様は、あえて色を入れない構成が粋。歴史と和モダンが調和した、おしゃれな一枚だ!
設置場所:草津宿本陣通り

分岐点そのものに設置された大型マンホール。
刻まれている文字は
「東海道 中山道 分岐点 慶長七年」
「中山道 みのぢ」
「東海道 いせみち」
「東海道 京へ」
それぞれの方角が明確に示され、まさに“ここでしか成立しない”デザイン。
慶長七年(1602年)は、江戸幕府が中山道整備に着手した年。この歴史的起点を象徴する、日本でただひとつのマンホール。
デザインは、緑の植物モチーフにピンクの矢印。どこか桜餅を思わせる愛らしさもあり、方角文字の向きや大胆な構図もユニークだ。外周にぐるりと刻まれたV字の連続フレームもアクセントとなり、見れば見るほど楽しい一枚に仕上がっている!
設置場所:草津宿本陣通り

草津市の花「アオバナ(オオボウシバナ)」を描いたストッパー付きマンホール。
アオバナはツユクサの栽培変種で、京友禅の下絵を描く染料「青花紙」の原料として、江戸時代中期から草津周辺で栽培されてきた。
ストッパーとは、集中豪雨時などに内圧上昇で蓋が跳ね上がるのを防ぐ安全機構。機能美と地域文化が融合した名デザインだ。よく見ると、このアオバナマンホールは道路上にも意外と多い。ストッパーのほか、仕切弁マンホールのタイプもある。ぜひ探してみてほしい!
設置場所:草津宿本陣通り周辺

「纏(まとい)」の描かれた消火栓マンホール
纏は、江戸時代の火消し組のしるし。斜めに振られた竿と躍動する馬簾(ばれん)が、「さあ、火を消しに行くぞ!」と言わんばかりの力強く粋なデザインだ。
馬簾の影になった部分が立体感を生み、躍動感をいっそう引き立てている。個人的にも、とりわけお気に入りの一枚だ!
頭頂部の陀志(だし)には草津市章が配され、宿場町の誇りと防災の歴史を今に伝えている。
設置場所:草津宿本陣通り

滋賀県草津市の何気ない三叉路。
しかしそこは、かつて日本の大動脈が分かれた歴史の分岐点だった!
草津市のご当地マンホールは、どれも「ここにある理由」を持つデザインばかりだ。宿場町の記憶、街道文化、地域産業、そして火消しの誇り。
草津を訪れるなら、ぜひ足元にも目を向けてほしい。そこには、時代を超えて受け継がれてきた「路上の歴史資料」が静かに刻まれている!